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アトリエリスタ養成講座

ただ今ワタリウム美術館にて展示されている
「驚くべき学びの世界展 <レッジョ教育>」 のワークショップとして始まった
<アトリエリスタ養成コース> に参加しています

注:アトリエリスタとは、幼児にアートを指導する専門家


しかもこの数日間は、レッジョ教育代表の カルラ・リナルディ さんが初来日中で
彼女の講演会を合わせ、生の素晴らしいお話を伺うことができました!

レッジョとの出会いはママンのココロが久々に揺すぶられる出来事だったのですが
彼女の話(哲学)を聞いてさらに
「あぁ、私たちは出会ってしまった!!」という激しい感動を覚えました


まず、レッジョの哲学として一番の基本は
「耳を傾ける」ということ

他者との交流を通して(他者の声を聴くことによって)
先生も子供と一緒に学んでゆくという姿勢です

子供は生まれた瞬間から学ぶ意欲が本能的に備わっていることは明らかで
言葉を話さないからといって、何も理解していないわけではなく
(これが 100の言葉の詩の内容に大きく関わってくるのですが)
全ては「学びたい!」という気持ちでいっぱいなのです

それを大人達が「まだ寝ているだけの子供だから、、、」とベッドに放っておいたり
「まだ分からないから、、、」と何もしないでおくと
子供達の可能性は少しずつ摘み取られてしまう、、、

だから大人達は生まれた瞬間から、赤ちゃんと積極的に関わる
(赤ちゃんの沈黙に耳を傾ける)必要があるのですね


たとえばこんな映像を見ました

生後10ヶ月の赤ちゃんが、たまたまそこにあった腕時計の雑誌をパラパラめくっています
それを大人がどう受け取る(料理する?)のか?

今までの私なら、普段落ち着きのない娘がちょこんと椅子に座って本を読んでいる時点で
「あーかわいい!雑誌見てる!!」と、その絵を写真に残したでしょう
ついでに「これはねー腕時計だよー」位は教えてあげて
もしその時自分が腕時計をしていたら、それを見せるかもしれない
大きな古時計 の歌も歌ったかもしれない

その程度です


でも、レッジョの先生は、自分がしていた腕時計の音を赤ちゃんに聞かせてあげました

すると、、、赤ちゃんは、雑誌の腕時計写真に耳をつけて
その音を聴こうとしているのです(笑)

懸命に指を指し、アーアー、ウーウーと言っています


こんな風に、赤ちゃんが話せなくても
大人は彼らの沈黙の言葉に「耳を傾ける」ことがとても大切だということ

ま、これって大人の人間的センスもないと、発展性がないんですけど(汗)


素晴らしい潜在能力を秘めた子供達(子供全員なのですが)の能力を開花させてあげるのは
絵を教える、とか、○○を教える、とかそーゆーことではなく
すでに彼らがもっている能力を発揮するチャンスやキッカケを
大人が作ってあげることなのですね

その為に、レッジョの先生方は朝登園してきた子供一人一人の行動を
全てノートに書き記すのだそうです

そうゆう地道な努力と記録録りが
土台のある<即興>(子供の遊びは全て即興的)を生み出すのでしょう



「芸術とは世界を見る目」だとカルラさんは仰いました

ですからレッジョでは、毎日先生方(アトリエニスタ)自身が
「子供達から今日は何が引き出せるか?」
「子供達が自発的に始めたことを、どうやって発展させて行くか?」
というリサーチ(探求)にキラキラしているだそうです

そうやって <教えるのではなく、子供達と対話しながら自分も学ぶ> 姿勢で
アートと触れ合っていくのだそう


だから、全員一緒のことは絶対にさせない と仰っていました
(もちろん、みんなで話し合って、一つの作品を一緒に作ったりしますが
その作る過程でも、みんな個性を生かしてバラバラのことをしている)


とにかく「生まれた瞬間から子供の潜在能力を信じる」ということがポイントでした


カルラさん、その後は「禅」の話をしていました(笑)
そしてムスリムの話まで、、、
(いや、まさか、、、とは思いましたが 笑)

イーシャッアッラー

答えが出ないから面白いのです

アトリエリスタ養成講座_d0163082_23243387.jpg

<昨日のひまわりで琢磨先生と>




このレッジョの教育は、別に私立の学校で施行されているわけではありません

イタリアのレッジョ・エミリア州という都市が街全体をあげて
レッジョ内の公立校全てにおいて実施されている
極一般的な教育方法です
by mamanboise | 2011-07-19 22:15 | Arts
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